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Tuesday, March 01, 2005

自分が選ぶ明治以降の名(迷)力士39人

 宮崎県立図書館で『平成17年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社刊、水野尚文・亰須利敏編著)を借りた。この本は明治以降の幕内力士が写真付きで紹介されている優れものだ。十両力士や優勝・三賞受賞者などの一覧もある。大相撲ファンなら必読のバイブルと思う。
 今回、自分の琴線に触れた幕内力士39人をここに紹介したい。面白いエピソードのある力士、プロレスラーになった力士、自分とのわずかながらも関連のある力士たちである。
 カッコの中は初土俵から最終場所までの時期と最高番付。説明は本の文を引用しているものもあるので、ここでお断りさせていただく。

 男嶋 舟蔵(明治33~大正13年、前頭12枚目)…大正6年夏場所3日目、幕下の友ノ山との対戦で前袋がハズレ、局部をさらけ出して負け。「男嶋を名乗るだけあって、なかなか立派なモノであったという」。

 八嶋山 平八郎(明治31~大正2年、前頭2枚目)…明治43年夏場所8日目、大関・太刀山(明治末期から大正初めにかけて無敵横綱と呼ばれた)との取組で、強烈な突っ張りを恐れるあまり、一度も身体が触れることなく「にらみ出し」で自ら土俵を割った。

 小錦 八十吉(明治34~大正6年、小結)…KONISHIKI以前の小錦。山形出身。現代の小錦をスリムにしたら似てるかもしれない。

 寒玉子 為治郎(明治36~大正9年、前頭9枚目)…凄い四股名。「かんたまご」と呼ぶ。師匠の友綱親方に「お前は身体は小さいが、寒の玉子のように、ジッと辛抱すれば必ず出世する」と励まされた。

 出羽ヶ嶽 文治郎(大正7~昭和14年、関脇)…身長206cm、体重195kgの巨人。出身は山形県上山市で、上山城内の博物館に像が置いてある。

 鏡岩 善四郎(大正10~昭和14年、大関)…昭和14年春場所の磐石戦で両者取り疲れ棄権、双方不戦敗の珍記録。

 天竜 三郎(大正9~昭和7年、関脇)…春秋園事件の首謀者。昭和7年1月、東京・大井町の「春秋園」に大勢の力士と篭城して脱退、関西角力協会を興した。

 武蔵山 武(大正15~昭和14年、横綱)…飛行機のような脅威のスピードで横綱に。しかし、右ひじを悪化して、振るわなかった悲劇の横綱。出身地は横浜市の日吉本町。

 安藝ノ海 節男(昭和7~21年、横綱)…双葉山を69連勝でストップさせた。

 清美川 梅之(昭和9~21年、前頭筆頭)…美男力士。初顔合わせで横綱・双葉山を負かしたこともある。引退後はプロレスラーに転向。アントニオ猪木vsストロング小林のレフェリーを務めた。長男がバラバラに殺害されてホルマリン漬けにされた猟奇事件の被害者でもある。

 若潮 芳雄(昭和6~24年、前頭6枚目)…小柄ながら筋肉質で怪力。ボディビルダーのようなボディ。

 五ツ海 義雄(昭和15~25年、小結)…21年4月京都の準場所で不動岩との対戦中、まわしが外れて負け。

 不動岩 三男(昭和15~29年、関脇)…身長214cmの昭和最長身関取。

 力道山 光浩(昭和15~25年、関脇)…ご存知、日本プロレスの父。強烈な突っ張りが空手チョップになった。4人で初の優勝決定戦に臨んだことがある。

 大内山 平吉(昭和19~34年、大関)…身長202cm。ボディはジャイアント馬場、顔はアントニオ猪木という感じの風貌。あごが伸びる奇病で手術した。

 甲斐錦 勝(昭和13~16年、前頭12枚目)…本名・鶴田勝。ジャンボ鶴田の叔父にあたる。

 神若 淳三(昭和19~29年、前頭12枚目)…プロレスラー・芳ノ里である。同じ二所ノ関部屋の初代・若乃花と同時入幕。

 豊登 道春(昭和22~29年、前頭15枚目)…昭和の名レスラー。相撲も力任せだった。

 大田山 一郎(昭和14~34年、前頭20枚目)…弓取りの名人。幕内になっても続けた。経営していたちゃんこ屋は今でも横浜の日吉にある。

 羽子錦 徳三郎(昭和27~37年、前頭10枚目)…自分が学生時代に住んでた町出身。

 前田川 克郎(昭和27~42年、関脇)…昭和36年秋場所で横綱になる前の大鵬と柏戸を倒したのに、他は全敗(2勝13敗)。

 北の富士 勝昭(昭和32~49年、横綱)…我らが英雄・勝昭。13年かけて横綱になった。

 大文字 研二(昭和31~48年、前頭5枚目)…力士→プロレスラーは珍しくないが、この力士はプロレスラーから力士に転向した。

 羽黒岩 盟海(昭和36~53年、小結)…宮崎県延岡出身。45連勝中の大鵬を負かした金星があるが、本当は先に足が出ていた。

 北の花 勝利(昭和35~44年、前頭6枚目)…昭和41年九州場所・東十両2枚目で9勝6敗→入幕できず→翌場所・西十両筆頭で8勝7敗→入幕できず→翌場所・10勝5敗→番付削減措置で東十両筆頭になっただけ→43年夏場所にやっと入幕。

 朝嵐 勇次(昭和34~48年、前頭12枚目)…和晃との一番で仕切りの際にゴミを拾い、土俵の外に捨てに行って反則負けに。

 天龍 源一郎(昭和39~51年、前頭筆頭)…風雲昇り龍のプロレスラー。押尾川事件が相撲をやめた原因のひとつと言われている。

 栃光 興福(昭和44~62年、関脇)…宮崎県出身の関取といえば栃光。幕内に上がるまでと晩年は本名の「金城」だった。

 玉ノ富士 茂(昭和42~56年、関脇)…いったん廃業して自衛隊に入隊、改めて入門して関脇に。

 青葉城 幸雄(昭和39~61年、関脇)…毛深い力士といえば青葉城が思い浮かぶ。

 琴風 豪規(昭和46~60年、大関)…琴風といえば「がぶり寄り」。

 大ノ海 敬士(昭和50~52年、前頭4枚目)…本名・石川敬志。WARとして新日本プロレスに乗り込んできたとき、大阪府立で怒りの野次を浴びせた思い出がある。元アマチュア横綱だったが、糖尿病で角界を去った。

 朝潮 太郎(昭和53~平成元年、大関)…自分が子供の頃に応援していた力士。なんでだろう。兄は北天佑、弟は若島津だった。

 多賀竜 昇司(昭和49~平成3年、関脇)…自分が初めて見た平幕力士の優勝。蔵前最後の場所だった。

 大乃国 康(昭和53~平成3年、横綱)…子供のときは「ダメな横綱だな~」と思っていたが、今は「立派な横綱だった」と思っている。

 孝乃富士 忠雄(昭和54~平成4年、小結)…安田忠夫。東横線で見かけたが、いかにも悪人だった…。

 南海龍 太郎(昭和59~63年、前頭2枚目)…相撲よりも酒を取って引退。プロレス入りしてドラゴン・ボンバーズに名を連ねたが、デビューはしなかった。第1回のUFCでジェラルド・ゴルドーに負けた一戦は戦慄の試合だった。

 久島海 啓太(昭和63~平成10年、前頭筆頭)…高校生の久島啓太がアマ横綱になった大会をテレビで観て「すげーな」と思ったが、プロ入りしてからは期待はずれだった。

 力櫻 猛(昭和63~平成9年、前頭4枚目)…NOAHの力皇。貴乃花や曙と同期。

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